안녕하세요❓😄


「アクティブラーニング」について、この専門用語が使われる頻度は別にして、その中身は、今や普遍の学び方(習い方)になりました。

そんな中、例えば学習活動で講師から、

「この単語の意味は何でしたっけ?」

と振られると、

「そんな単語習ったっけ?」

とおっしゃる方が結構おられます。

これは意外に、学校でアクティブラーニングに比較的普通に触れているはずの、いわゆる若い方でもそうであったりして、驚かされます。

この言葉には、学校を起源とした、授業や学習活動がいまだ '昭和的' で、たとえれば、かなり加齢臭がした概念がしつこく横たわっているのを象徴していると、講師は常日頃感じています。

その'昭和的'な授業や学習活動とは、「アクティブラーニング」の逆で、いわば、

先生のいうことを聞いて従いながら習う形式

です。
それが、単語といった単発の知識であっても、それらは手持ちの教材に書いてあったり、スマホで調べればすぐ分かるのに、学ぶ側の方には、

誰かに教えてもらうものだ

という固定観念が、根強く残っていることを証明しています。

習うこととは本来、それら単発の知識を複数組み合わせて、新しいモノを創造する方法を、先生/講師から教わるのをいいます。

知識や技能の習得は決して、錦鯉が口を開けてエサを待つようにしてさえいれば手に入るものではないし、単発の知識という、例えば手持ちの教材に書いてあることや、調べればすぐ分かることは、学ぶ側自ら手にする、そんな学びの概念は、「アクティブラーニング」という、学ぶ側が主体的に学び練習することが、真に定着した時に普遍化する気がしています。

講師としては、そういう面も全面的に担わなければならないと、ヘンに力んでしまうことが結構ありますが、講師の真の役割は、

〇知っておくといい知識の範疇だけを学ぶ側の方に指し示す
 知識を一から十まで全て自ら伝えようとしない

〇知識を組み合わせて新しいモノを作る方法を教え、学ぶ側の方がそれらを反復練習できる環境作りとサポートに努める

〇その練習過程で、学ぶ側の方がそれをより良くできるよう、伝わる言葉と動作でアドバイスする


と考えながら、日々学習活動をやっています。

ちなみにこの、

(全ての面で)誰かに教えてもらうものだ

という固定観念は、日本人ならではなのかもしれません。

つまり、お上のいうことに従おうとする文化や習慣が反映していて、昨今の新型コロナ禍についても、感染防止とCOVID-19の鎮静化は結局、個々人の心がけと行動が要件ななずなのに、「政府は何もやっていないからこうなるんだ」と、人任せ的なことを言ってしまうのにも、重なるような気がしています。

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